■(2025 MAY) 勇敢と怯懦

 彼の国の国家元首が変わっただけで、デストピアといった塩梅である。民衆から恐懼きょうくの対象として見られているし、世の大人が一顰一笑いっぴんいっしょうを気にしているのは異様に見える。私は政治には全く興味がないが、心の中に土足で入り込んでくるようで殊更に素晴らしいことだとは思わない。
 月下美人の花言葉ではないが、今、人々に必要なのは儚い美ではないだろうか。こう云うご時世だからこそ、束の間の喜び、夢のような瞬間など、すぐに消えてしまうような感情や出来事に美しさを感じるような気がしている。いずれにしても詮無いことだ。




 

■(2025 APR) 磊落な男たち

 立春を知るのはココナツオイルの溶解かな。
俳句になってねぇな(笑)。
 私は毎朝、決まった朝食を摂る。オートミールに生蜂蜜、ココナツオイル、ブルーベリー、バナナを入れて電子レンジで温かくして食べている。ココナツオイルは冬場は固まっていて、春先になると溶け出す。毎年、季節の変遷をこれで実感している。桜が咲くより叙情的リリカルだと思うがどうだろうか。
 このところ知己の同級生、先輩の逝去が重なり、憂え憤る気持ちが澱のように溜まり、天気とは反比例して、陰鬱な日々が続いている。磊落な男たちが矢継ぎ早に亡くなり、自分のようなつまらない人間が生き残っている。時薬ときぐすりが必要かな。愁眉を開く、そんなときも来るだろう。




 

■(2025 MAR) 寒波が伝播

 八百屋には春キャベツや新玉葱が並んでいるのに、東京には寒波が居座っているようで、寒いったらありゃしない。私は偉丈夫ではないので、暑い分にはいくら暑くてもヘーキだが、このような狂的な寒さには滅法弱い。日本海側の寒さがそのまま東へで伝播しているように感じる。当然のことながら外出を倦むようになるが、どうしても外へでなければならない用事がある。こんなとき、私はモンベルのアンダーウエア、それも上下揃いを引っ張り出してくる。スパーメリウールと云う素材で作られていて、元来の使途が冬山登山のため防寒には強力な効果を発揮する。
 私は早朝の散歩が日課であるが、ここ数年、早朝に冬のにおいがしなくなった。鼻にツンとくるような、どこか物悲しいような、あのにおいのことである。季節も移ろいゆくが、気象条件を時代とともにも変化しているのだろう。
 天候は自然現象だから不可知の世界だと思うが、昔と今を比べると気温の上下が激しくなっているのは間違いないだろう。将来の天候を思うと吐胸をつかれる。




 

■(2025 FEB) 瞠目せよ

 いつの頃からか、人と同じ道を歩むことはつまらないと思うようになった。齷齪働いて、ボーナスを心待ちにする生活に辟易し、若いうちから自分のビジネスを模索してきた。今日の私を俯瞰する限り、それが今に繋がっている気がする。
 壮年期には、ひとかどの人物になろうと様々な人々を関わり合いを持ったが、振り返ればそこには嫉妬や妬みが付きまとい、その邪気は負のエネルギーとなって怒りや憎しみを増幅してきただけであった。
 人付き合いが変われば物欲も変わる。囂しい日常に慣れ、頃合いの外車、複雑時計ばどを手に入れたが、その全てが今手元にない。
 やることを減らすのではなく、やらないことを増やす。瞠目せよ!この人生の機微に気づけたことが何より幸いである。




 

■(2025 年頭にて) シバタ君の色鉛筆

 謹んで新年のお慶び申し上げます。
旧年中は、弊社に格別のお引き立てを賜り、誠にありがとうございました。
本年もより一層努力し精進してまいりますので、昨年同様、変わらぬご愛顧のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

 クリスマスプレゼントとお年賀を兼ねて、知り合いの息子さんに172色の色鉛筆を送った。
アマゾンでポチッと買って、ギフト包装で直送してもらった。便利になったものだ。
 私が小学2年生の頃、シバタ君という同級生がいた。
私を含めて皆が12色や18色の色鉛筆を使ってたが、彼だけが36色の色鉛筆を使っていた。
茶褐色の金属ケースにズラリと36本の色鉛筆が並ぶ様は子供心に偉観を呈しており、皆の羨望の的であった。
ある日、私は眦を決して、その色鉛筆がどこで買ったのかシバタ君に訊いてみた。
シバタ君は途端に表情が翳り、プイと横を向いてしまった。
爾後、どこで売っているのか何度訊いても教えてもらえなかった。
私は一旦は腹を立てたが、立場が逆なら、私もそうしていただろう。憎めない彼とはその後友達になった。




 

■(2024 年末にて)  知らない町の地図を見て

 私が住んでいる小石川は、永井荷風が生まれた町、樋口一葉や森鴎外が近隣に暮らした町、言ってみれば、文豪の町であろうか。現在も樋口一葉が通っていた質屋が保存されている。本が売れなくても、厭世的にならずに前向きに生きた閨秀作家の人柄が偲ばれる。
 家の裏手のこんにゃく閻魔へ続く小路は、往時、暗渠を流れる川であった。写真などが残っていないので詳細不明だが、板張りの捷路しょうろであったのではないだろうか。天王洲アイルのボードウォークよりも風情があっていいじゃないか。辺りには寺院や神社が多い。江戸時代は城下町だった証左であろう。
 東京を旅することが好きだ。電車やバスを乗り継ぎ、降り立ったことのない駅や停留所で下車すると胸躍る思いがする。無聊ぶりょうかこつのではなく、白地図を塗りつぶすように知らない事、経験のない事を試みる。知らない町の地図を見て想いを馳せることが、人生の精髄エスプリだと思っているが、どうだろうか。

 本年中の御愛好に心より御礼申し上げますとともに、来年も変わらぬお引き立てのほどよろしくお願い申し上げます。




 

■(2024 NOV)  オヤジのハッピー

 過日、埼玉スタジムアムへ赴き、ワールドカップアジア最終予選、日本対オーストラリアを観戦してきた。結果は引き分けで。物足りなさを覚えて帰途についた。日本代表は、後方からのビルドアップで蹉跌があったように感じた。スリーバックが寧ろ桎梏となっていたように見えた。キャプテンである遠藤の不在の影響が大きかったのだろう。新しいフォーメーションだったはずだが、スリーバックのビルドアップで詰まる感じに既視感があったのは何故だろうか。最終予選は来年も続くので、改善して欲しい。
 MLBは面白くなってきた。ドジャースとヤンキースという東西の人気球団によるワールドシリーズなんて最高の組み合わせではないか! 大谷とジャッジの対決に決着の時が来る。そう感じている今日この頃だ。
 注目できるスポーツを観戦できるなんてハッピーだよね。オヤジのハッピーなんて、そんなとこにしかないんだよ。




 

■(2024 中秋にて)  一葉の写真

 手元に一葉の写真がある。チューリップやヒアシンスが咲いた花壇の前で座っている幼少期の私が写っている。少し前、アルバムの整理のしていたときに見つけたものだ。カラー写真だが、セピア色に退色している。鼻に近づけると黴臭い古紙のにおいがする。
 写っている私だが、(今と違って)犀利さいりさを煥発かんぱつする雰囲気を醸し出しており、自分で言うのも可笑しいが、稚気愛すべし様子である。爾後の放埓な暮らしが、曩時の佳麗なルックスを劣化させたようで、慨嘆に耐えない塩梅である。多くの人に当てはまる人世の公理であろうか。
 フィルムのにおいがする写真、パソコンやスマートフォンに保存されたデジカメ画像と違う魅力があると思うが、どうだろうか。




 

■(2024 SEP) 記憶の中の味

 一日ひとひ、自由が丘へ出向いた。昔は都営線と東急線を乗り継いでいたが、今は南北線が東急線へ乗り入れているので利便性が格段に向上している。恰度ちょうど、通勤通学時間帯であったので、乗り合わせた人々を然り気無く観察してみると、文庫本なんて誰も読んでない。誰しもスマホで漫画読んだり、動画を観たりしている。耳にはワイアレスのイヤホンを捻じ込でいる。構わず私は文庫本をデイパックから取り出した。耽読していると自由が丘駅に到着した。
 曩時のうじ、当該地に老舗の暖簾分けの蕎麦屋があって、贔屓にしていた。殊に鰹蕎麦と云う珍しいメニューがあった。冷たい蕎麦の上に鰹の切り身が乗り、海苔、おろし生姜、大葉、茗荷などの薬味をふんだんに添えられた一品であった。季節のメニューで、初鰹のときは品書きに載らず、戻り鰹のときだけ提供されていた。惜しむらくは疫病の流行時に店仕舞いしてしまった。
 記憶の中に生き続けている味がある。秋口、戻り鰹をもとめて、自作してみようか。




 

■(2024 盛夏にて) 豆腐屋の豆乳

 自宅裏手、坂の途中に豆腐屋がある。往往おうおう絹ごし豆腐を もとめたりする。三和土たたきが剥き出しになった店頭の窓口から注文すると、水槽からひょいと豆腐を掬ってカップ容器へ入れてくれる。その後、豆腐と同じ大きさの半紙を載せ、買い物袋に入れて持たせてくれる。大豆の薫香くんこうが立った逸品で、我が家の食卓に欠かせない一品だ。
 この店では、いつもあるわけではないが、豆乳も販売している。豆腐屋の豆乳である。スーパーの豆乳とは一味違う。私は豆乳を毎日摂る。水で割ってプロティンとシェイクしたり、電子レンジでホットチョコレートを作ったりする。おからも豆乳も豆腐の糠粕こうはくだろうか。その割にはレシピも多数あるようで残滓ざんしとして片付けるには矛盾があるような気がする。
 この店の豆乳だけは、そのままストレートで飲む。馬齢を重ねると、自己の味覚や価値観が屹立し、高価な食品や料理よりも他では味わえないものに惹きつけられてしまう。




 

■(2024 JUL) 一寸無理があるかな


 私は毎朝の散歩が習慣となっているが、道中に野良猫と会遇することも習慣となっている。茶トラ、ブチ、黒、白、キジトラなど様々で、それぞれ縄張りがあるようで、毎朝決まった場所にちょこんと座っている。先日、脳中で(顔を思い浮かべながら)勘定してみると、全部で十一匹いる。
 僅か十五分程度で一周できる散歩道であることを考えれば、これは凄い人口密度、否、ニャンコ密度である。気恥ずかしいので、具体名は記さないが、各猫に名前乃至ニックネームをつけている。会えた猫には挨拶するし、出会えなかった猫には、どうしているんだろうと思を馳せる。
 今のところ十一匹全員、元い、全猫ぜんニャンコと会えた日はない。いつの日か、十一匹の猫と会える日、即ち猫コンプリート、否、ニャンプリート(――一寸無理があるかな……)できる日を楽しみにしている。




 

■(2024 JUN) 晴れでよかったネ

 北赤羽の先、埼玉県と東京都の県境にどうしても外せない用事をこしらえてしまって、メトロとJRを乗り継いで赴いた。駅に降り立つと、寂れて閑散とした街並みを思い浮かべていたのだが、存外に小綺麗で気分爽快になる。目の前には広大な公園が拡がっていて、オランダにあるような水車がしつらえられている。円形の園路の中心にある池では、人々がのんびり釣りなんかしている。私は東京のど真ん中で暮らしているので、当地のような広い空に出会うと、些か羨ましくなる。
 恰度ちょうど昼時だったので、立ち食いそば屋に入って――私は初めて訪れた町ではこれをよくやる――茄子天茗荷そばを食べた。冷たいそばを暖かいそばつゆにつけて食べるのだが、これが立ち食いそば屋のレベルを遥かに凌駕した味で、感動してしまう。
 駅裏の図書館に寄ってみたが――私は初めて訪れた町ではこれをよくやる――これがまた瀟洒しょうしゃな造りの近代建築でビックリした、閑所などお借りして、新刊の文芸誌などパラパラと斜め読みした。
 滝野川の迷店(?)で酒を飲むため、帰りは都営三田線の蓮沼駅まで歩いた。西巣鴨で下車したが、店の開店時間には少し早かったので、芥川龍之介の墓へ行った――別に展墓のために赴いた訳ではなく、興味本位だったのだが……。大きく立派な墓でも建っているのかと思ったら、球型の個性的な形状をした珍しい墓だった。なんとなく合掌してしまう。
 今日は、晴れでよかったネ。さて、そろそろ家に帰りますか……




 

■(2024 MAY) ブルッとした

 存外にガイドブックには掲載されないだろうが、月一ペースで足繁く通うラーメン店がある――前々から私の贔屓の店がガイドブックに掲載され、行けなくなった経験が何度もある。その店は悠久の年月を経たカウンターが据えられた小体こていな造りで、メニューもラーメン、つけ麺、まぜそばと限られたものになっている。先日、一カ月ぶりくらいで赴くと、以前は店主一人が調理、接客の両方をされていたが、接客をニューフェイスの女性が担当し、店主は調理に専念されていた。
(――ほぅ、飲食業界は厳しいのに、儲かってるんだねぇ……)
 と、心中で呟いたが、ニューフェイスを見てギョッとなった。思わず息を飲むような美人で、それでいて笑顔が優しい愛嬌のある接客をする。店に居る客たちも同じことを考えているようで、スマホを見ているフリをして彼女を盗み見ている。退店の際には、一オクターブ高い声で彼女に「ごちそうさまでした」なぞ、咆哮する。
(――まさか、嫁さんもらったのだろうか……)
 この店主はコブダイに髭を生やしたようなルックスで、お世辞にもイケメンとは云えない。私が座っている席は恰度ちょうど、彼女が行き来する中通路と厨房が見渡せたのだが、彼女が店主と目を合わせて意味ありげな表情をしたので目を?いた。
たまさか村山槐多の散文詩なぞ読んでいたのでブルッとした。
――まぜそば、美味しかったなぁ。




 

■(2024 APR) 今後を憂いている

 サッカー日本代表、北朝鮮戦を観に国立競技場へ赴いた。チケットが余っていて、ダイナミックプライシング制度によって少し安く買えたのでラッキーだった。ダイナミックプライシングは需給によって価格が決まるため、売れ残りのチケットは漸次安くなる。嚢時、出張でニューヨークのブロードウェイを訪れたときに、eTicketでミュージカルのチケットを購めた。このときにダイナミックプライシングを初めて経験した。株価ボードのように時間の経過とともにチケットの価格が変化していく様は、合理的で良いシステムだと思った。数十年経って、漸く日本に導入されたが、サッカーに限らずあらゆるチケットに遍く導入されることを望んでいる。
 新国立は瀟洒な造りの近代建築で、サッカー場としては群を抜く存在だと思う。しかしながら、トイレが少ないことは十全でないと思った。ハーフタイムに行列が出来て、尿意を堪えるのに苦労した。試合もどこか間延びした内容で面白くなかったなぁ。帰りに思い出横丁辺りで一杯飲んでから帰ろうかと思ったが、風通し(?)の良い店が多いので、当日の寒さを思うと途中下車する気にならなかった。
 ちょっと今後を憂いている。




 

■(2024 MAR) 何か良いことないだろうか

 サッカーアジアカップ、あれは何だったんだろう。あのメンバーで結果が出ないなんて。自分たちのサッカースタイルに拘泥して、心技体の技に重きを置きすぎだったか。もっと泥臭くてもいいから、心で戦って欲しかった。それを相手がやっていたように見えた。残念である。
 伊東の代表離脱あれは何だったんだろう。この目で見たわけじゃないから真実が分からない。ただ結果的には代表に翳さすことになったと思う。残念である。
 私の方もDAZNが観れるという触れ込みのインターネットカフェに会員登録し、部屋を予約し(12時間からしか予約できない)、当日赴いたらアクセス過多で観れなかった。唾棄すべき出来事で、ほぞを噛む思いをした。
何か良いことないだろうか?




 

■(2024年 FEB) 胡瓜の記憶

 往時のビジネストリップで訪れたロンドンで食べたキューカンバー・サンドイッチが恋しくなって自作した。何故買ってこずに自分で拵えたかというと、こんなもの何処にも売っていないからである。キューカンバー・サンドイッチとは、ライ麦バンにコールマンズのマスタードと無塩バターを煉ったものを塗り、胡瓜の薄切りを挟んで、フィンガーサイズに切ったもである。 その横にはスタッフドオリーブとピクルスが添えられている。イギリスでは紅茶と共に午後のティータイムに食べる事が一般的だ。
 胡瓜の薄皮を剥いてからパンに挟むのが私流である。悪くない出来栄えで、満腹になり、夕食時にはまったく腹が減らぬ。リビングで横臥していると、インシュリンのスパイクで眠くてたまらなくなり、本格的に寝入ってしまう。目覚めたら毛布が掛けられていて、家族の愛情を感じてしまう。
 食べ物の記憶というものは、ときにその他の出来事よりも鮮明である。殊に幼少期に食べたもので記憶に残っているもは多い。私の場合、何故か胡瓜を食べた事を鮮明に覚えている。初夏の日差しの中で、おやつ代わりに塩をつけた胡瓜を手に持って遊んでいた事。今思えば、母が熱中症予防のために持たせてくれたのではないだろうか。薄ぼんやりとした記憶の中に、鮮やかな胡瓜の緑色が残っている。そのイボイボの皮も、悪くない感触だ。




 

■(2024年 年頭にて) 謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
旧年中は格別のご厚情を賜り、誠にありがとうございました。
たくさんのお客様との出逢い支えられ、心より感謝申しあげます。
本年も変わらぬお引き立て、一層のご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

私は、相も変わらずバタついた年末、年始を過ごした。
大晦日は未明に起床し、出荷処理、在庫のリコンサイルを済ませ、その後、仕事部屋の掃除をした。 ダイソンの新型掃除機の吸い込みが気持ちよく、部屋をピカピカにした。 年越し蕎麦は、例年に倣わず自宅で乾そばを茹でて、市販のそばつゆで、葱と本山葵を薬味として食べた。
其の後することもないので、ビールやキンミヤ焼酎などを鯨飲し、そのままリビングで寝落ちして、家人に罵倒される。
深更、尿意が切迫し後架へ行く途中、家人にバッタリ出くわして、反射的に新年の挨拶をしてしまう。
そのまま、臆面もなく元日を無為に過ごし、本日に至る。

また一つ無駄に馬齢を重ねることになるが、せめて矍鑠かくしゃくとしたオッサンで来年の正月を迎えられるようにしたいものだ。 さて、入浴して仕事を始めますか。